ちょっと立ち話 | 生きる | 2002/11


先日友人のHPで「少年の主張」最優秀賞。内閣総理大臣賞を受けた少年の弁論文が話題になっていました。 残念なことに私の地方では記事が載っていなかったので 朝日新聞の支局に連絡して全文を送ってもらいました。
早々に対応してくださった朝日新聞松江支局に感謝します。ありがとう。全文はここから

私はこの主張文を読んだあと10年前のある事件を思い出しました。それは長男が小学6年生だった時の出来事です。
夏休みも終わり、新学期になったばかりの9月。長男のクラスに転校生がやってきました。
名前はT君。出席番号が前後になった彼と息子はすぐに友達になり、家に遊びにやってきました。
しばらく部屋の中で遊んだあと、庭で大騒ぎして遊んでいましたが どういうわけか私のそばにずっといて、草取りをしたり、大人びた世間話をしたり・・・
でも急にT君は 「今日は一人でステーキを食べるぞ!」って言って、自転車で帰ってしまいました。
それから一週間、T君は一人アパートに残されたまま、両親の行方がわからなくなったそうです。
T君は児童相談所で生活していましたが、しばらくして両親が迎えにきたようでした。
親の所か、施設か、の選択となりましたが、T君は自分で施設で生活することを選んだのです。
彼が息子と同じ小学校で過ごしたのは一ヶ月にも満たない間でした。。
もう22歳を越えた今、彼はどうしているだろうか・・・・

太陽寮の寮長さん曰く
「親から受け継ぐ財産のない子は、家庭のある子よりも努力し自分で道を開け」

生きとし生けるものすべて、奇跡ともいえる偶然で たった一つの生命となる。
それほどの命の重さを、誰が操作できるというのだろうか。
皆にしあわせになる権利がある。
子供本来が持つ、”育つ力”をおろそかにしてはならない。
親のエゴや虚勢で、その力を削いではならない。
励まし応援することでしか、育つ力を強くしてやることはできない。
けっして理不尽な方向付けをしてはならない。
自分の殻は自分で破ってヒナが誕生する。
他の者に殻を破ってもらったヒナはけっして育つことはない。
人間だってしかりのはずである。
どのような境遇の違いがあろうとも
生きる力はけっして人から与えられるものではなく 自分で勝ち取るものである。
私達ができることは、あきらめない勇気と希望を与えてやる事しかない。

私達大人がどれほどの飛び立つ勇気と希望を 見せてやれるのか。
私達自身がどれほどの勇気と希望を持って今を生きているのか。
狭い了見や偏見で子供達の夢や希望をスポイルしてはいないだろうかと
あらためて我が身を見つめ直した。
以前にも紹介した私の子育ての指針ともいえる大好きな言葉を もう一度紹介します。

「明日 」................(安積得也)

はきだめに
えんどう豆咲き
泥池から
蓮の花が育つ
人、皆に
美しい種あり
明日、何が咲くか