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少年の主張大会最優秀賞


「これから頑張るんだ」(西 誠)

(どうせ親がいないのなら僕は、生れてこなきゃよかったんだ)
僕は何度かそう思ったことがあります。僕は3歳くらいまで大村の乳児院で育てられました。 でもそのときは親がいる、いないなんて知るわけがありません。そして島原の児童養護施設の太陽寮に入寮しました。
太陽寮に来て親がいないと気がついたのは、小学生の頃でした。太陽寮では年2回、お盆の一週間とお正月の一週間、 親が迎えに来て帰られる時期があります。 いわゆる帰省です。その帰省のときは親が来て、みんな笑顔で家に帰って行く。僕は絶対来るって信じていました。 だから(家に帰ったら、なにをしようかなあ)と考えていました。 でも僕の親は来ませんでした。 僕はその時、「なんで帰れないんだ」と腹がたっていました。 みんなが笑顔で帰って行く姿に腹がたちました。 なんで帰れないんだ、とすごい怒りがこみあげてきました。だから僕は、寮の先生に聞きました。
「僕の親は来るんですか?」
「わからないね。今度、来るかもよ。今回は先生達と他のみんなと過ごそうね。」
そういわれました。でもその「今度」も、また次の帰省のときも、親は来ませんでした。 だから僕は、一度も帰省したことがありません。僕には親がいない。そう自覚しました。とっても悲しかった。

僕は時々、ここから逃げ出して、親をさがしたいなあ、という気持ちになったりします。 自分のそんなひ弱な気持ちで、2回無断外泊をしてしまいました。 そのとき僕はとっても楽しく、寮の先生や学校の先生の気持ちなど全く考えていませんでした。 寮に連れられて行った時、寮の先生に、ひどく叱られました。 でも僕は、それでも見つかったことに腹がたっていました。 すると、僕の担当の先生が心配して泣いてくださっていたのに、気がつきました。 ぼくは、「なんてバカなことをいしてしまったんだろう」と、くやしくて、せつない気持ちになってきました。 僕は深く反省しました。先生はこう言われました。 「誠は逃げても行く所はないじゃないか。誠の家はここしかないんだ。 ここで立派な人間になって、巣立って行ってほしんだ。だから、また明日からがんばれ」と。
言われて、何だか嬉しくなりました。僕は、叱られてしあわせ者だなあと思いました。 親がいない僕を心から叱ってくれる人がここにいるからです。
僕は、もう13年間も太陽寮で生活しています。 とっても悲しかったこと、とっても楽しかったこと、うれしかったこと、心配をかけ迷惑をかけたこと。 そいうことを心のばねにしながら、これから強く生きていこうと思います。 僕は絶対、ガンバル! そして僕は、父母に次の言葉を届けたい。 「もうどうでもいい。父母なんて。僕は立派に成長して生きていくから。僕は一歩一歩、自分の夢を持って成長し続ける。」 父さん、母さん、聞こえましたか。西誠はここにいる。


この記事は2002年11月21日 朝日新聞朝刊に載ったものです

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