ちょっと立ち話 | 伝え方いろいろ | 2001/11

吹き替えなしの映画をみていた。
夫も、子供たちもTVの前に どかっと座っていたのですが、
私はちょっと離れた台所から見ていたので、どうにも声が聞き取りにくい。
「もうちょっと音量上げてくれない?」
『音、大きくするの? 画面は見える?』
「うん、画面は見えるよ。」
誰も音量を上げてくれない。
「お母さんも見てるんだから、ちょっと声を大きくして。」
いらいらしてもう一度言うと
TVの前の子供達が 顔を見合わせてにんまり笑う。
「も〜なに〜」
『お母さん、字幕を読んでいるんだから、音、必要だったか・な・』
「そんなひどい・・・・」
『ごめん ごめん。音 大きくするよ』

なぜだか良く分からないけれども、吹き替え版を見ているときより、
吹き替えなしのものを見るときの方が大きな音量にしてしまう。
言葉の意味がはっきりしないぶん、言葉の抑揚を確かめたいのかもしれない。
高い声、低い声、怒った声、笑った声、言葉はわからなくても、
抑揚のある音として入ってくる情報に敏感になってしまう。
声の主の年齢とか、教養とか、 文字情報だけの想像よりもっと確実で、豊なものとなる。
もし私が女優であり、母、妻、恋人、友人のそれぞれの役を演じるのであれば
自然と声の抑揚を変えるのでしょうね。
そうだ!
情感たっぷりで、言葉も抑揚もそれぞれの役柄にあわせて。
子供をしかるとき、いつもの母の声ではなく、友人の声を演じ
妻であるとき、恋人の声を演じてみれば、おもしろい。
部屋の掃除をしない子供達に、ヤンキ―調のしゃべりをして叱ってみよう。
遅く帰宅する夫を出迎えるとき、玄関で息絶え絶えの死にそうな真似をしてみようかな
こりゃ、おもしろくなりそうだ。