ちょっと立ち話 | 不便さの中に・・ | 2001/10

30年前まで、私の実家のお風呂はあの五右衛門風呂、釜茹での鉄のお風呂だった。
お風呂のカマドの横には、祖父が切り出してきた薪がうずたかく積んであった。
火付けは、松葉であったり、新聞紙をぎゅっとひねった物であったりしたが、
ぼっ、ぼっと音をたてて薪を燃やすには、かなりのコツが必要だった。
一朝一夕にはいかない。そろそろ焚きあがるかなって思って湯加減を見に行くと、
火は消えていて、まだ水だったりしてガッカリすることもしょっちゅうだった。
お風呂に入っていると、「湯加減いかが?」って誰かが必ず声をかけた。
ぬるめのお湯にはいって、湯上り時には、ちょっと熱いのが、気持ち良い。
追い焚きをしながら「熱くなってきた?」『ありがとう』などと お風呂の中と外で話をする。
冬。焚いてもらう者も、焚く者も お互いを気遣いあった。
しばらくして、この五右衛門風呂も薪を使うのではなく、スイッチひとつのガス風呂に変わり、
湯加減なんか聞いてもらわなくても、自分で点火すれば、なんの苦労も無く焚く事が出来るようになった。
このことを母は嘆いていた。「便利にはなったけれど、なんか声をかけなくて良いのは寂しいね。」
同じ事が我が家の台所でもある。
食器洗浄機を取り付ける前は、洗い役、拭く役、がいて、その日にあったいろいろな事
あれこれおしゃべりしながら仕事をこなした。
「ちょっと手伝いなさい」 『でも明日から試験だもん』
「たかだか10分手伝って点数が変わるわけでもないでしょ」 『は〜〜〜〜〜い』
今では、食後の台所のおしゃべりはなくなって、食器洗浄機のぐらんぐらんという音がしている。

ビジネスホテル並に便利な各人の個別の部屋も、それなりの価値はあるけれど、
不便さの中にある、人間が擦れあって起きる暖かさは、なんにも置きかえることができない。
一つおトイレの前で、「おとうさん、早く出てよ〜」『すまんな』「おとうさんの後はしばらく使いたく無い」
狭いホットカーペットの上で毛布に包まって、頭が邪魔でTVが見えないあっちに行け、こっちを向け。
悪態をつかれながらでも、小さな関わりを持つ事を、もっと大切にしたいと思う。
家庭の会話って、大層な話し合いなんかではなくて、
ささやかな労わりの積み重ね・・・・・・・
ちいさな笑いの行き交うところ・・・・・
便利になればなるだけ、母親であり、妻である私に課せられるものは、何なの?とあらためて考える。