ちょっと立ち話 | 想うということ | 2001/4


新学期が始まって、末娘のクラス替えがあった。
最近の子供事情は難しくて、
私達の頃のように、のんびりと出来ない現実がある。
私は初日、帰宅する娘の表情を黙ってうかがった。
鼻歌まじりで帰って来たので、ひとまず安心したが、
機嫌が良かったのは、2〜3日で、後 数日はむっとした表情が続く。
良くおしゃべりする子なのに、部屋にこもって、本を読んだり、ゲームしたり、
言葉も刺刺しい。
「なんかあったの?」と尋ねたが「別に・・」
食事もそこそこにすませて、不機嫌にしているし
「ダイエット?」なんて面白げに話しても「別に!」
心配のあまり 私も、いらいらしてきた。
ここいらで”喝”を入れようと思った。
(不機嫌なのは仕方ないけれど、何が嫌なのかくらい話しなさい)
と強い口調で言いかけたが、一呼吸して、黙った。

パッチワークの作業部屋にゲーム用のTVが置いてあるので、
娘はゲームをし、私は針仕事をする。おばさんギャクの一つでも・・と思ったが
黙ったまま。何時間も黙ったまま。
なんらかの心の交流があったわけでもない。
ただ時間が過ぎ、気まずい雰囲気だけは和らいだ。
それからしばらくして、娘の声がやさしい声に戻った。
不機嫌になった理由もそれをどうやって解決したのかも、なにもわからない。
でも、よかったなと思った。

子供の話を良く聞いてやろうと思う。しかし、ちょっと油断すると、
「私の意見を述べる」という時間に変わっていたりする。
へ〜とか、ふ〜んとか、おもしろいねとか、それで?とか
そんな言葉だけを言っている間は、結構おしゃべりが続く。
「聞く」とか「想う」ということは、ただ相手の事を心をこめて見ること。
けっして、相手の心の中に、ずかずかと踏み込んではいけない。

愛情という言葉を使うと、なにやら難しそうで、
いろいろな細やかな表情が薄れてしまいそうな気がするので、
私は「愛情」という言葉より「想う」という言葉が好きです。
押しつけないように相手を想う
まわりの人を、やさしく想い続けられる私でありたいと思うけれど・・・