ちょっと立ち話 | 川柳の魅力 | 2001/4

友人が、第一生命の「サラリーマン川柳コンクール」入選作品から
数句、紹介してくれた。

・ハイリンク よくよく読めば ハイリスク
・パラパラは 何のサインと 悩む父
・授業中 携帯片手で 私語が消え
・我が社では 走って伝える 社内LAN
・おやじがり どんな髪型 おやじ聞く
・社内ラン 頭混乱 わしゃしらん
まだまだ続く。
時実新子(ときざねしんこ)さんは川柳についてこう語っています。

川柳は五七五、一呼吸の短詩です。
自由詩と違うところは「句」だからです。
俳句も川柳も見分けがつかなくなっているのが現状ですが、
違いは歴然です。
俳句が季語や切れ字やらと大変行儀正しいのに比べて、
川柳は約束事のいっさい要らないものです。
それなら川柳のほうが与し易い(くみしやすい)と思われるでしょうが、
約束事がないだけ難しい。俳句のような支柱がない分
自分の言葉で一句の中身を深めなければならないので厄介です。
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川柳は「悪」が好きです。心に芽生えた針ほどの悪の芽も
見逃してはいけません。針小棒大に出して良い。
それが人を打つ大きな力となるのです。
少々いたずらっぽい目で、常に自分を見、他人を見、社会を見る。
・・・
しかし、川柳は”ある種コッケイで他人をそしって笑うもの”
という概念を捨てるべきでしょう。
今の川柳は、喜怒哀楽のすべてを自在にに包括しています。
ユーモアは楽しい事ですから、もちろん結構です。
でも、この世はしんどい、つらいこと腹のたつこともいっぱいです。
それも余さず吐き尽くしてください。

川柳に限らず、文芸は実と虚の中に真実が光る。
ですから、老若男女、虚と実を行ったり来たりして、楽しめばいいのです。
「なんだ!君は!」「ひょっとして、まさか、・・・」
なんて言われても、
「川柳はフィクションよ!五七五で楽しむ分には罪はないでしょ。」ということ。
さてユーモアあり、艶っぽいものありで、自分勝手に楽しみましょうか。

・じんとくる手紙をくれたろくでなし(時実新子)
・いつか行く旅の話しをもう5年(近藤ゆかり)
・息せき切って来たのにしょうもない話(寺西文子)
・ほんとうの別れ手を振ることもなく(新家完司)
・あれはあれで苦労している子の強気(平沢テルコ)
・正解を問うから君の不幸せ(安西まさる)
・手をつなぐあなたの指の先のさき(呆)
・紡いでも紡ぐ端からほつれるよ(呆)
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