ちょっと立ち話 | 師弟の関係 | 2001/2

教職に就いている友人が、自分のHPに、こんな書き込みをもらいました。
教育現場での問題が取り沙汰されることの多いこの頃、
私はこの書き込みに、とても感動しました。
当の本人は、あたり前のように受けとめていますが、私の感動を伝えたくて
原文のまま、皆さんに紹介します。

コメント:
こんにちは。初めまして、と言うよりは御無沙汰しております・・
と言いたい気分です。
@@@@と申します。現在は大学院生です。
平成2年(1990)から5年(1993)の春まで@@高校に在籍していまして、
高校1年と3年の時に先生に地学を教えていただきました。
覚えておいででないと思いますが。
一度だけ、3年生の年度始めの実力テストで(奇跡的にも)満点に近い点数をとり、
廊下で声を掛けられました。
高校卒業後、学校を訪れた際、顔だけは覚えて頂いていたようで、
嬉しく思ったのを思い出しました。

高校時代のあの芸術的、かつ学際的な地学の授業を越える授業は、
大学でも大学院でも経験できていないと我々の仲間内では伝説になっています。
太陽の寿命を水素核融合の損失から計算したこと、
アンチ・タレスがアンタレスであること、
太陽の寿命がつきる頃には、その半径が火星の軌道にまで広がること、
その他山ほどの記憶を今でも鮮明なものにしています。
いまだに図表地学を持っていて、
旅行先で拾ってきた石の組成がどのようになっているのか見てしまうほどです。
それほど楽しくわかりやすい授業でした。

大げさかもしれませんが、地学という学問がいかに面白いかだけでなく、
「学問」という測度、尺度はとても魅力的なのだ、ということを
教えてもらった気がしてなりません。
現在は@@大学の大学院で記憶の脳内メカニズムについて研究をしています。
人間の記憶、感情といった精神が、
脳内の物質レベルではどのように調節・表現されているのか、
とまあ、そんなことを研究しています。

僕の中では、「物質-宇宙」というつながりと同等の意味で
「脳-精神」という図式が成り立っています。
たった一つの石の背景に宇宙があって、
たった一つの神経細胞の背景には精神がある、と考えるに至っては
高校時代の地学の授業が、今の自分のものの見方に多大な影響を与えていると
考えざるを得ません。
もちろん、宇宙だとか、精神だとかというのは
人間が創造したものに過ぎないのかもしれないですけど。
高校卒業時に挨拶しそびれたのを悔やんでいまして、
先生の名前を見つけたうれしさの余り書きすぎました。
ともかく地学の授業で与えてもらった何かしらに感謝したく記帳した次第です。
またHP拝見させていただきます。


うちの子供たちにも、こんな出会いがあるように・・と願います。
しかし、もしこんな先生と出会えたとき、
それを受け取れる子供であるのか、どうか・・
そんな子に育てられたかどうか、自信がありません。