ちょっと立ち話 | 中年の危機 | 2000/12

河合隼雄著「中年クライシス」ちょっと難しい本でしたが・・・その感想。

40〜50歳の夫婦を題材にした小説をいろいろ取り上げて、検証してあった。
不惑の年。しかし不惑・・・大きな危機をはらんでいる・・・らしい。
自分の中で消化し、自分の言葉で表現しようと思ったが
ちょっと説明しにくい所もあって、
どれほど分かり易い言葉で伝えられるか自信がない・・・が。

まったくもって、私自身の危機。
専業主婦の私は、子供がまだ小さかった時、
私は***ちゃんのお母さんと呼ばれていた。
子供が中学、高校へと進み、学校とのかかわりが薄れるに連れ
今度はどういうわけか、いつも***さんの奥さんと呼ばれた。
けっして、私自身の名前で呼ばれることはなく、なにかに付随してる。
夫と切り離された個人では存在しないような自分に、焦りがあり、
週何時間かのパートの仕事についたり、
趣味のパッチワ―ックの作品を発表したりして
やっと私個人の名前を持ったが、
夫に組み込まれている私自身をどうやって切り離そうか・・
関心はいつもそこから離れなかった。

私はお見合いして、たいそうな恋愛感情も経験しないまま結婚した。
いま、充分に幸せだから、どこに如何いう不満があるわけでもないが、
自分の青春を生きてこなかったという、後悔のようなものがある。
このことも、この本の中に取り上げられていて、一層感銘をうけたのだが、
もう一度、青春を生きてみたいと思う。

過ぎ去った青春への憧れと、夫と切り離した自立した自分の実現。
いま流行りの”自己実現”が、予定された人生から横にそれた、
いわゆる危機と考えられるのだろう。
うまく乗りきれると一層充実した、生活が見えてくるのだろうが、
失敗すれば、断崖を滑る落ちる・・ということらしい。

この事を夫はどう考えるだろうか。
この年齢の男性にしては、
男女の区別なく人間としてのあり様を大切にする人だから、
充分理解におよぶはずなのだが、いかんせん、女房となると、
そう簡単に、すべてに寛容にも、なれないかもしれない。