ちょっと立ち話 | 人間の強さ | 2000/10

人間の強さを語る時、立派な大木と、風にもそよぐ柳の枝を対比した話しがある。
ああ、あの話ね!とたいていの人が知ってる。
大風が吹いて、いつも強い!と誇らしげにしていた大木が倒れて、
そんな細い枝して・・と相手にもされていなかった柳の木が、
ゆうゆうと立っているという、あの話です。
どういうことを、示唆してるかいろいろ解釈もあるでしょうが、
実は、この話,、私はあまり好きでは、ありませんでした。
人生の荒波を越えるには、上手に流される方が得策。それは理解できる。
しかしそういった強さは私の性には合わない。どうどうと真正面から立ち向かって、
折れるのであれば、折れたほうが潔い!
今まではこう思ってました。

先日、友人の御主人が亡くなられた。享年42歳。
中2、中1のお嬢さんと幼稚園年長さんの男の子
奥様と3人の子供さんを残して逝くことは、断腸の想いだったに違いない。
にぎやかなお葬式だったが、
澄み渡った空と、いちめんのコスモスが、一層の悲しみをさそった。

「折れたほうが潔い」なんて・・・・・・
けっして折れてはいけない人生もある。
進行の速い胃がん”スキルス”。余命3ヶ月”と宣告され、結局一年の闘病生活。
御主人と二人しっかり向き合った一年だったと聞かされた。
これから彼女は, 3人の子供をかかえ、
けっして折れない人生を選択していくだろう。
流されたくないときでも、流される事を余儀なくされることもあるだろう。
玉砕の潔さなんて、机上の論。
人間というもの、傷みや苦しみを越えなければ、
真実は見えないものなのでしょうか?