ちょっと立ち話 | 個性って |

子供たちそれぞれが、学校の行事のためにいろいろ準備するのを見てて、
ため息が出る事が有る。
たとえば、修学旅行。自由時間や、就寝時は体操服、予備にTシャツ、等など
これ持っていけば? そんなん目立つからいやだ!じゃ、これは?う〜ん
なかなかまとまらない。

私は中高一貫の女子高に通いました。
制約のすくない学校でした。
30年も前なのに、みんなオシャレでしたよ。
修学旅行でも、体操服で寝るなんて、とうてい考えられない。
宿について、さっそくオシャレなワンピ―スなどに着替えて、夕飯時は華やかでした。
キャンプファイヤーではそれぞれが、思い思いのスタイルで、カジュアル。
寝るときだって、さすがにネグリジェの子はいませんでしたが、
みんなかわいいパジャマ着てました。それなのに、
いまの子供たちは、ず〜っと体操服。なんかおかしい。
臨海学校での水着にしても、学生らしくということで、
ほとんどの子が色とりどりの可愛いらしいものを着てました。
それなのに、今の子は、紺色一色の学生水着。なんか、妙な気がする。

個性が叫ばれて久しいが、個性って一体なんだと思ってるんだろう。
協調性がなく、自分勝手に行動するのが、個性的だなんて、
まさか思ってる訳でもないでしょうが。
小学校の低学年でも、席につけなかったり、人の話が聞けなかったり。
個性的という言葉に流されて、
きちんとした躾をすべきとき、甘い躾しかしなかった母親の長年の怠慢が、
無法者を生み出し、同一個性で束ねて仲間集団をつくり他を排除するという、
今の子供たちを作っていったのでは、ありませんか?
学校が、社会が、まして、親たちもが、”個性”ということばに振りまわされて、
個性的という呼び名の、画一化された個性のない人間を、大量に作ったのでしょう。
本来個性というものは、個の持つ特性でしょう。
その子その子が持つ、育てにくく、目立たない ちいさな芽でしょう。
華美にならないように、管理しやすいように、同じもの着せて、
あーあ・・・けっして、学校が悪いんじゃないんです。
そうせざるを得ないような躾しかしなかった、私達親の責任でしょう。
話に脈絡がなくなってますか?私怒ってますから。