ちょっと立ち話 | 平等感 |

病院の待合室に座っていた時、親子連れのいさかう場面をずっと見ていた。
お母さんは30代ちょっと。お兄ちゃんは幼稚園の年長さん。3〜4歳くらいの弟君

「ヨーグルトちょっとあげなさい」
『でも、これは、ぼくんだもの!』
「お兄ちゃんは、お兄ちゃんらしく、すこし弟にあげればいいでしょ!」
『でも、これは、ぼくんだもの!』
「小さい子に、優しく出来ないなんて、もう、買ってあげない!」
『でも、これは、ぼくんだもの!』

幾度となく、これが繰り返された。
弟は、ミルクコーヒー 兄はヨーグルトを買ってもらったらしい。
早々にミルクコーヒーを飲んだ弟は、兄のヨーグルトを欲しがって、
こんな、いさかいになった。
もしこれが、
「自分のは、もう飲んじゃったんだから、だめでしょう。あれはお兄ちゃんのもの」
「わがまま言うのなら、泣いてなさい」
こういえば、兄は、きっとこういう・・・だろう。
『仕方ない、一口だけだよ。』
「お兄ちゃんやさしかったね。ありがと!」 となる・・・だろう。

お母さんになったら、このくらいの采配はふるってもらいたいものだ。
いささか腹立たしかったので、子育てのウンチクを傾ける事とした。

子供が3人いれば3人平等に育てなければならない。平等?
上の子だけが”お兄ちゃん”と呼ばれるのは如何でしょう?
末の子が”末子ちゃん”と呼ばれることはまずない。多分名前で呼ばれる。
だから上の子も、名前で、呼ぶべきでしょう。
イチゴが10個あったら3.33個ずつ?まさか、
体の大きさに比例させて、5・3・2もしくは、4・4・2 4・3・3 4.5・3・2.5ですか(笑)・・
時と条件によっては、10・0・0 0・10・0 5・5・0 ということだって、ありえるわけです。
”時と条件”この判断こそ、母親の力量が問われるところです。
確かに母親はゆったりとして、どっしりとして、変わらず微笑んでいなければいけません。
しかしその子その子のデータ分析はぼんやりしてたら、できません。
なるだけ間違いのないように、間違いが見つかったら素早く訂正して。
ゆったりと、どっしりと、のんびりと、しかも、俊敏に、するどく、正確に・・
ただし、ゆったりすべき時に俊敏に、どっしりすべき時に鋭くならないように注意して。
母親は、多重人格者?(笑)であるべきです。
本題からそれましたが、平等とは、均等な分割ではなく、
それを一番必要としてる子に、手厚く分けるということです。
物質的な平等ではなく、精神的な平等感、この”感”をあげてほしいと思います。
私の子供に限って申し上げますと、上の子をすこし手厚く、
中の子をすこしえこひいき 、そして、末の子はわざとほったらかし・・・
このほうが弟や妹を思いやる心や、兄や姉を敬う心が育ちやすい気がします。
いえいえしかし、賛否両論あると思いますよ。これに関しては・・・・