ちょっと立ち話 | ”祝”お正月 | 2003/1


明けましておめでとう!
元旦 9時も過ぎた頃、みんなが起き出してきた。
新年のカウントダウンのときにもこのおめでとうを言ったから、今年2度目の挨拶となる。
それぞれのおもちの数を聞いて、さっそくお雑煮を作る。
お客様の来ない核家族ののんびりしたお正月風景だ。
黒マメも添えた。
煮豆の甘みが嫌いな次男も年の数だけは食べた。
「お母さんは大変だねぇ。数えるのも、食べるのも・・」
『はいはい!でも20個までは数えたけれど 後はもう忘れたわ・・』
なんだかんだ言いながら、それぞれが勝手にしゃべる。
「お母さんは、昨日除夜の鐘をいくつ聞いた?」
『テツの様子を小屋まで見に行った時に神社の鐘の音をひとつだけだけど、聞いたよ』
「まずいっ!じゃあ〜煩悩も107個持ち越したわけだぁ こりゃ今年もヤバイね!」
『・・・・・・・・・・・・』

昨夜、NHKの紅白歌合戦をちびちびやりながら見ていた。
ちびちびって言ったらよっぽど飲んべいみたいだけれど、
日本酒とピンクグレープフルーツジュースを同量で混ぜた物・・・・だから
カクテルさっ!う〜〜ん ジュースさっ!
お正月には帰省しない長男と携帯でほろ酔いで話して・・・
い〜〜気持ちでいたら、どこやらで”お鍋”とか”お湯”とか”お蕎麦”とか話し声が聞こえる。
しばらくしたら、うたた寝を起こされた。
「お母さん〜お湯沸きました。年越しそば!お願いしま〜す。」
『はあ〜?私かいなっ』
「僕は”かけ蕎麦”で!」「私は”つり蕎麦”で!」「お父さんは?」「僕も”つり蕎麦”にするかな」

というわけで、年越しそば作りのため 除夜の鐘は聞いていません。
煩悩が107個も残ったのは、つまるところ家族のためでありまして。
あんなこんなを繰り返すうちに煩悩も宿便みたいになってしまったのでありまして。
お雑煮を食べた後、しばらくして
「春が来て、餅で押し出す去年○○〜・・・(○○は糞であります!)
毎年毎年、このセリフを言っていたようで、家族みんなのヒンシュクをかった。
昨年暮れも押し迫ってから、意に反して 50歳のお誕生日を迎えた。
美容院に行って(そう、あの第2の男のいる・・)、それはそれは可愛いカットをしてもらい、
お正月用のひだひだのスカートもとってもgood!
100歳生きる為の折り返し年。その第一歩の幕開けを華々しくも可憐に迎えるはずだったのに、
こんなセリフは似合わなかったなあ・・・・・・・・
クリスマスの時の残り物のクラッカーを庭に向けて飛ばした。
”祝”私の50歳年!






<追記>
ちょこっと 煩悩って調べてみるとこういうことらしい。
煩悩には根本煩悩枝末煩悩があり、
根本煩悩は貪、瞋、癡、慢、疑、見の六煩悩、
枝末煩悩は根本煩悩に伴って起こる従属的な煩悩といわれています。
そしてそれらを、
仏教の真理に迷うものを見惑、現象的な事物にとらわれ迷うのを修惑と分け、
見惑は見道位という修行段階で滅ぼされる煩悩
修惑は修道位という修行段階で滅ぼされる煩悩
修行しても取れない煩悩もあるみたい。
なんかとっても難しい。わけわからんから・・煩悩?