ちょっと立ち話 | 「御飯」の役目 | 2002/11


ただいま〜というのが早いか、御飯は何?というのが早いか。
夫も子供も 私の顔をみると、開口一番「御飯 なに?」
そうです。私の名前は「御飯」です。

買い置きの猫の餌がすっかりなくなっていて その夜の餌がなかったので、
慌てて近くのコンビニに買いに行った。私達主婦は あまりコンビニには縁がない。
夕方8時過ぎのコンビニは結構賑わっていた。
髪を金色に染めた10代の少年が5人座り込んでいた。
ちょっとごめんなさいね・・と言わなければ通れないほど入り口を塞いでいる。
私はそんな不良じみた少年なんか、恐くもなんともない。あらよっ!て感じで側を通ったのだが・・・
午後8時。彼らが コンビニのお弁当をヤンキ―座りで食べていた姿が 心に残った。
美味しいのか、美味しく無いのかそんなことは無関係で、ただ空腹を癒すだけのお弁当。
彼ら達の家では、おかあさんが夕飯を作って待っていないのだろうか。
小言を言われるのが嫌で、家に帰らないのだろうか。
みんなが一緒にいたいのなら、せめてどこかの家で、笑いながら食べられなかったのだろうか。
食べる物も食べる場所もなくしてしまった彼ら。
それぞれに抱えている事情や問題は、いったい何だというのだろう。
あたり前の普通の大人になっていくのだろうが、育ててやれなかったものは、なんだろう。
子供達をコンビニの入り口に追いやった大人の責任は大き過ぎる。

食事をするということは、もちろん空腹を癒すのが目的だけれども、ホッとできる時間でもある。
心を許せる時間でもある。だって恋人だって、食事から始めるわけですから。
みんなが一緒に笑いながら食事をするのが良いのに決まっているし
手のかかった惣菜がいろいろ並ぶのが良いのに決まっている。
しかし、毎日毎日そういう食事や時間が持てるとは限らない。
喧嘩して、険悪な雰囲気の中で食事をすることもあるだろうし、
深夜 寝ぼけ眼で食事をすることだってある。
忙しいから、インスタントラーメンですませて・・という時だってある。
塾やら部活やら、仕事やらで家族はばらばら状態。
だから 一人で食卓につくことのないよう、側に一緒に座っていてやりたいと思う。
だから カップ麺のお湯ぐらい入れてやって、3分一緒に待ってやりたいと思う。
コンビニのお弁当を悪者にするつもりはさらさらないが、
使い方を間違えると、優しさまでも失ってしまう。胃袋だけは、死守せねば。。。。
だが、しかし・・・
あれこれ想う。私の名前は「御飯」ですから。

「お腹すいた〜」
『何食べたいの? うどんならすぐ出来るよ』
「牛丼!吉野屋の。」
『みんな大盛りでいいの?じゃ買って来る・・・』
「お母さん〜ついでに たこ焼きも買って来て」
おいおい!「御飯」さん〜